2015年のスタートと座禅
- orange0909
- 2015年1月15日
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ここ最近、定期的に座禅に通っています。 日本に住んでいたころ、家族でお世話になっていた禅の老師の友人が、ここベルリンで座禅を教えていらっしゃるというお話を日本の知人から聞いたのがきっかけでした。 でも調べてみると、私のベルリンの友人知人が通っていると言っていた座禅と同じ座禅会。 しかも、会場は家から自転車で数分の場所。 通いたくても、遠ければ、なかなかこの時間のやりくりの中では難しいのが実情なのですが、たったの数分。 世界はこんなに広く、世界中に、一生出会う事のない人が70億人いるというのに、人の縁というのは、なんだかやっぱり不思議なものです。 本当に久しぶりの座禅で、正直、前はどんな風に座ったのかなんてことも全然思い出せないくらいだったのですが、改めて、静寂の世界に身を置いてみると、これまで気付かなかった色々な発見があり、それは新鮮な感動でもありました。 座ったばかりの頭の中は忙しく、次から次へと色々な思いがよぎっていきます。 でもその思いに集中するのではなく、ただ、流れるままに、思考を手放していきます。 そのあいだ、自分は、そこに「居る」だけなのです。 時間も、空間の感覚もなく、ただ、そこに自分がいて、自分の思考が訪れては、消えていくのに任せるだけ。 いつしか、その思考さえも消え、無、空白の中に、私の意識が存在しています。 私の中の無なのか、無の中にある私なのか、その境目は分かりません。 言葉で上手く表せないのですが、その、ただ「在る」という感覚が、ひたすらに平安であり、美しいのです。 途中、立ち上がって、ゆっくりと歩行瞑想を行います。 体の重心を少しずつ移動させながら、静かに、前へ進んでいきます。 その動きは、ヨガの動きを思い出させます。 頭の中は静かに、でも、意識は肉体の動きに集中しています。 その感覚は、自分と言う存在が、この肉体の中にいるという実感であり、しっかりと、グランディングしていることを意識させます。 歩行瞑想をしている時、この瞑想とヨガの繋がりが、自分の中でぴったりと合わさった感覚がしました。 私が学び、教えているヨガは、瞑想のような、といつも表現していたのですが、瞑想の側から、ヨガを感じると、ああ、これは確かに、表と裏のように繋がっているものだ、ということを、実感したのでした。 もともとヨガも、本来は座位のみ、静かに座って行うものだったということですから、全く違いがないといえば、そうなのかもしれません。 動の中にある静 静の中にある動 その間にある、空(くう) 収縮と拡散 陰と陽 生命エネルギーそのものの表現。 自分自身は、座禅に何か求めていたわけでもなかったのですが、座禅というものを、今までと違った視点で見て、感じる、思いがけない貴重な体験となりました。 まだまだ座禅は初心者ですし、これからどのように自分の中で認識の変化や、理解の深まりがでてくるか(または、こないか)は分かりませんが、今はこの、移ろいゆく思考を静かに見つめる、永遠の、時間のない時間は、「美」という言葉でしか表わすことができません。